Our Story ― 受け継がれてきた想い ―
昭和6年初夏、十和田湖にて撮影。 “人と地域に愛される”ことを大切にしていた創業者、田中吉太郎(写真右上)の想いは、田中組のVISION「未来から感謝されるモノづくり」として今もなお受け継がれている。
田中組が掲げるVISION「未来から感謝されるモノづくり」の原点は、
創業時から変わらぬ想い【人と地域に愛されるために】という精神です。
創業の系譜と100年の歩み
田中家三代目・田中岩太郎は、農業と木材業を営む傍ら、明治17年に開設された三本木軍馬育成所において人夫の世話役を務め、これを契機に建設業の下請けに携わるようになりました。農閑期には職を求める多くの人々を建設現場に取りまとめ、災害復旧工事や国道橋梁工事等を手がけました。この「人と地域に愛される」ための取り組みこそが、田中組の原点であります。
そして、岩太郎の手伝いをしていた長男・吉太郎が、昭和3年に土木建築請負業として正式に興した会社こそが“田中組”となります。
吉太郎の長男である吉次郎は昭和2年、県立三本木農学校を卒業後、祖父と父の手伝いをしていました。下請けからの脱皮に苦労した後、昭和8年、念願の元請資格を取得し、23歳で二代目社長に就任しました。その後、昭和13年に三本木原開拓における国営開墾事業工事に着手し大事業を無事完成へと導きました。しかし、第二次世界大戦の激化に伴い、昭和19年、企業統合として田中組は一旦解散する事となり、上北土木建築株式会社が組織されました。吉次郎は同社において工事主任を務めたものの、翌年には補充兵として弘前の部隊に召集されました。
終戦後、吉次郎は郷里に戻り、上北土木建築株式会社において4年間、建設業に専心したのち退職。昭和27年、田中組を再興し、株式会社組織へと改め、自宅前の奥入瀬川沿いに小規模な事務所を構えました。そのころ大手の建設会社が受注していた立石発電所工事や十和田発電所工事に強い関心を寄せ、幾度となく現地に足を運ぶ中で、完成後の補修工事を受注するに至りました。翌年、念願であった元請工事として東北電力法量発電所のトンネル工事を受注し、続いて蔦発電所のトンネル工事も無事完成させました。これらの成果は吉次郎の並々ならぬ執念と、多くの関係者様による多大なご支援の賜物であり、現在の田中組の礎となっております。
昭和16年頃、岩太郎(写真中央下)を囲んだ家族写真。
吉太郎(中央上)、吉次郎(左上)の間には少年時代の勇太郎。
東北電力株式会社法量発電所新設工事(第二工区)
新設された法量発電所に導水する水路トンネルの工事を実施。
東北電力株式会社蔦発電所竣工式
感謝状を受け取る吉次郎(写真右)
「吉」の名に込められた精神
岩太郎の子・吉太郎、そして孫・吉次郎と、代々「吉」の字が名に用いられているのにはある由来があると伝えられています。
かつて江戸末期の稲生川穴堰(あなぜき)掘削工事において、稀代の技術者であった「頭取・吉助」。岩太郎はその技術と精神を高く評価し、その志を後世に伝えたいという強い願いを込めて、子に「吉」の名を授けたとされています。
田中組二代目・吉次郎は、折に触れて「発注者に愛され、信頼される良い製品をつくれ」と訓示し続けました。その精神は、三代目/五代目・勇太郎、四代目・勇二郎、六代目・俊次へと継承されています。
そば処/MODERN会席 吉次郎(田中組の関連企業である伸和商事(株)が運営)
現在も十和田市内で、「吉」の想いは受け継がれています。